安井 岳 - Gaku Yasui

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がっくん

職種 / 役職

Software Engineer / リード(Productivity team)

入社日

2022年6月1日

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きっかけはCTOからのメッセージで「これまであまり触れられなかったビジネスのスキルに触れてもらったから」ーー 他にも選択肢があった中でMOSHを選んだ理由とは?

ー がっくんさん今日はよろしくお願いします!まずは今MOSHでどんなことをしているのか教えてください!

基本的にはサーバーサイドの開発で、今メンバーにクラウドのインフラ周りを見る人がいないようなので今後はそちらもやりつつ、開発環境などの整備をしているという感じですね。

ー 心強いです!これまでも同じような業界にいらっしゃったんですか?

前職は横軸組織に所属していて、開発者の生産性を上げることがミッションでした。リリース頻度などを早めるための基盤開発・運用や可視化をしていました。また社内のエンジニア向けの基盤なので、その活用について社内勉強会を開いて事例を共有したりというようなこともしました。

新卒の頃のがっくん。今は亡き大好きなご祖母様と。
新卒の頃のがっくん。今は亡き大好きなご祖母様と。

ー MOSHへはどんなきっかけでジョインしたのか教えてください。

CTOの村井さんからYOUTRUST経由で声をかけてもらったのがきっかけだったんですが、YOUTRUSTには登録しただけという感じで、スキルの部分にはプログラミング言語を二つくらいとビジネス系のスキルをちょっと入れていただけでした。そこへ「ビジネスのスキルを持っているエンジニアさんが欲しいんです」という感じで声をかけてくれたんです。

ビジネスのスキルというのは経営修士の資格のことで、社会人になってから取得しました。国内で働きながら取得できるやつなんですけど。

ソフトウェアエンジニアとしては役に立たせるのが難しく、前職でも特に活かすこともなく、あまり話題に登ったことはなかったんですが、村井さんがそこに食いついてきてくれたので、ちょっと話聞いてみようかなと思って、その流れでですね。

実はもう一個内定もらっているとこがあって、魅力的なメガベンチャーだったのでとても迷いました。一日中、仕事しながらもずっと考えて、MOSHに返事をする期限だった日の深夜まで悩みました。言語化が難しいですが、そっちにいく自分を想像した時に「逆にこっち(MOSH)行こう」と冒険心のようなワクワクした気持ちを感じてMOSHに決めました。

近影。距離は遠め。
近影。距離は遠め。

ー そんなことがあったとは!MOSHに来てくださって本当にありがとうございます!!!

MOSHに入ってみて実際どうですか?

スタートアップとはいえ、気持ち的にプレッシャーや息が詰まるような感じがないですし、みんなフレンドリーで優しいのでのびのびと働けます。面白いなと思ったのは、意外と関西のメンバーが多いじゃないですか?僕は基本的に東日本で育ってきたのであんまり関西の人の掛け合いとかに馴染みがなくて、CTOの村井さんとエンジニアの村山さんのやりとりとかが面白いなと思いました。笑

ー ここからはがっくんのこれまでの人生について根掘り葉掘りお伺いしたいと思います。

現在東京にお住まいかと思うのですが、ご出身も東京なんですか?

出身は北海道なんですが、転勤が多かったので結構転々としていたんです。生まれてすぐ北海道から出て、岐阜、幼稚園で千葉、その後は沖縄、青森、岩手、中学から北海道、大学で岩手に戻って、岩手が一番長く住んだ場所ですね。社会人から東京ですが、学生の頃からよく勉強会に参加するために深夜バスで東京に来たりしていました。

大学時代のがっくん
大学時代のがっくん

ー すごい!北から南までいろんなところで育ってきたんですね。転校も多かったのではないかと思うのですが、幼少期はどんな子供だったんですか?

めちゃくちゃ人見知りで内向的でしたね。転校もすごい苦痛で、慣れるのにもやっぱり時間がかかっていました。中学入学してもなお、休み時間とか自分から話しかけられないようなタイプでした。席に座ってじーっとしていました。笑

ー 休み時間は何をして過ごしていたんですか?

小学校からプログラミングをしていたんですが、休み時間はオブジェクト指向の本を読んでいました。

その頃はまだプログラミングとかする人もあまりいなかったので、クラスですごく浮いていたと思います。笑

文章を読むのが苦手で、人の話を聞くのも苦手だったんですがプログラミングは好きで、本もなんとか読めました。

当時は周りにプログラミングに詳しい人もいないし、親にはパソコンに触る時間も制限されたこともあるくらいだったので、(プログラミングを)やりたいからしょうがなく本を買って読んで独学するしかなかったんです。

当時「ベクター」というサイトをよく見ていて、そこには個人や企業が作ったツールが載っていたんですが、流行っているものは雑誌付録のCD-ROMにされるんですね。フリーウェア作家になろう!みたいな本も読んでいて「いいな」と思ったりしていたので、作ったものをベクターに載せてみたりもしていました。

ー 子どもの頃からプログラミングをしていたんですね!

そうですね。高専というのを知らなかったので、高校は普通科に行きました。でも、みんなの輪に入れず、僕は趣味もネット、アニメ、ゲーム、漫画で、さらに周りの人とコミュニケーションがうまくできず、そんな自分のことが辛いと思っていました。高校は記憶がないくらい苦痛で、かといって勉強も手につかず赤点ばっかり取っていましたね。

ある時テストを受けるのが嫌でテスト前に家出したんですけど、友達がいなかったから誰かの家に泊まる、とかもできなくて。3000円くらいのテントを買ってキャンプサイトにママチャリで走って行きました。

ー え!?ママチャリでキャンプサイトまで?もしかしてすごい距離あったんじゃないですか?

そうですね。ここまで行ったら面白いんじゃないかと思って(笑)

当時ママチャリで回った場所。食料はコンビニで調達していたとか。
当時ママチャリで回った場所。食料はコンビニで調達していたとか。

ー いや、これママチャリで周る距離じゃないですよね(笑)すごい行動力ですね。

でも家出から帰ってきたら試験もしっかり受けさせられました(笑)

ー 高校卒業後はどのように過ごしていたんですか?

その後は岩手大学の情報科でコンピューターサイエンスを学びました。他の大学の人とも関わる機会ができてきたり、プログラミングの世界の広がりに触れたのがこの頃でした。

その頃にはFacebookのザッカーバーグとかそういう人たちが一般にも知れ渡るようになってきていました。プログラミング自体も世間にも徐々に知れ渡るようになってきていた頃で、尖った人も増えてきていて。地方から出て大学の夏休み一ヶ月そのころはまだあまりメジャーではなかったインターンにいく人とか、他には学生でもう自分でサービスをリリースしていて「ホリエモンにいいねされた!」とかいう人の話を聞いて「え、何それ、すご…」みたいな(笑)これまでプログラミングは一人の世界で、身の回りの現実世界にそういう人たちがいることを知らなかったんです。

ー それはがっくん的にはプラスの刺激だったんですか?

プラスでもありマイナスでもありました。ネガティブな面でいうと、元々が厨二病なので(笑)今はないですが、当時の僕は特別になりたいという思いがありました。そういう人たちと関わるようになって、小学校の頃からプログラミングをやっていた人は少なかったけど、その歴のわりにはすごく自分が不出来に見えて、そのショックや悔しさはすごいありました。

プラスの面でいうと、東京では勉強会開催やコミュニティとかが多かったんですが、地方ではほとんどなかったんですよね。僕は活発な方ではなかったので、学部3年、4年とか大学院に行ってから徐々にそういうコミュニティを知ったんです。その経験をもとに、学部1年生の時からそういう世界を知れるようにサークルみたいなものを作ったんですよ。前々職を退職した後に、そのサークルにいた人が入社したと聞いて、自分の悔しさを原動力に少しでも良い活動ができたのかなと思っています。

ー それは嬉しいですね!最後に、今後MOSHで挑戦したいことなどあれば教えてください!

僕は割とスキルセットでいうと結構広いので、足りないところをうまく拾ったり、開発者の生産性を上げるように整備したいですね。例えば、機能を開発した人が自分でデプロイできるようにしたりとか。

まずはエンジニアとしての成果を出しつつ、スタートアップという経営陣との距離も近く、人数も少ないという良い機会を活かして、他の領域に関わったり、事業や経営目線の部分にも少しずつ関与していきたいなと思っています。

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ー ありがとうございました!最後にMOSHにこれを読んでくれている方へ一言お願いします!

YATTEIKI!