仲間を尊重し、意見を言い合える。組織として最大限に力を発揮し、事業者さんに寄り添ったサービス開発を。
学生時代は「最低限の食事とゲームができる人生が送れればいい」そんな風に思っていた、MOSHの共同創業者であり、エンジニアチームを率いる村井さん。
そんな村井さんは、これまでのエンジニアとしての経験から、 「プロダクト開発や組織作りのため、自分の意見が重要なんだ、とメンバーの一人ひとりが思えるような会社にしたい」 メンバーについて、そう語ります。
今回は、村井さんがエンジニアを目指したきっかけから始まり、創業の経緯、今後のMOSHの組織作りについてお聞きしました。ぜひ、最後までお楽しみください。
接客業やサービス業の経験を通して気付いた、プログラミングの面白さ。「好き」を追求するため、エンジニアへ。
―子どもの頃や学生時代、どのような人生を送っていたのかを教えてください。
自宅にノートPCがあったので、小学生の頃からPCに触れる生活を送っていました。自分の部屋に持ち込んで、ゲーム代わりによくいじっていましたね。
今振り返ると、1日8時間くらいはPCに触れていて、PCは僕の日常の中に自然とあるものだった気がします。
―そこからエンジニアを目指すようになったのでしょうか?
実は、昔からエンジニアを目指そうと思っていたわけではないんです。当時の僕は、最低限生きていくための食事ができて、あとはゲームができる人生なら、それでいい、と思っていました(笑)。なので特に目標もなく、学校の授業にはそんなに出ずに飲食店、コンビニ、引っ越しなど、いろいろなアルバイトを転々としていました。
その一方で、趣味で続けているプログラミングは時間の流れが早いなと思ったんです。それに気付いた後、インターンとしてプロシーズという会社で働き始めました。その会社に入ってから、一日の半分はプログラミングをするという生活を送っていました。
1社目の代表に出会い、人生における価値観が変化。籔くんからの共同創業のオファーも自然と受け入れられた。
―「エンジニアになろう」と決めてから、MOSH代表の籔さんと出会うまでを教えてください。
その後、2年のインターン期間を経て正社員になり、結果的には学校は中退してしまいました。エンジニアとして設計や開発の仕事だけでなく、サポートや営業、顧客対応など、一通り経験させてもらいました。
6、7年くらいこの会社にいたんですが、実は籔くんに出会ったのは、この時です。僕がちょうど正社員になった頃、籔くんがインターンとしてプロシーズに入ってきました。僕は当時、インターンの指導担当だったこともあり、話をしたのを覚えています。
―当時、籔さんに対してどんな印象を持ちましたか?
謙虚で素直だな、という印象を受けましたね。「将来、起業したいんですよね」ということを当時から言っていたのをよく覚えています。
―そこからどのような道のりを経て、籔さんと一緒に起業をすることになったんですか?
籔くんがインターンを辞めて1、2年くらい経った時、僕は仕事の都合で東京に転勤をしました。そのタイミングで籔くんがRettyに入社することになって、一緒にごはんに行ったり、旅行に行ったりもするようになって…気がついたら、僕もRettyに入社していました。
この時もまだ、具体的には起業の話は出ていなかったと思います。ただ、僕の中ではRettyに入っていた時点で「将来、自分の会社をやろう」とは考えていました。
―それは驚きですね。「最低限の食事とゲームができればそれでいい」と言っていた学生時代から、どのような心境の変化があったのですか?
自分でもそんな風に考え方が180度変わるとは、予想していなかったです(笑)。
1社目の会社の代表の影響が大きかったと思いますね。社員に対して「ゆくゆくはリーダーとなる人材に育ってほしい」という思いを持っていた人で、「社長にしか見えない世界がある」という話を聞くうちに、自分の会社をやるということに興味を持ち始めました。
―そして、いよいよ共同創業のオファーがあったということでしょうか?
Rettyに入社して、1年くらい経った頃だったと思います。「いろいろ自分でサービスを作っているから、教えてほしい」と言われて、休日にプログラミングを教えたり、一緒に何かを作ったりして、「プロジェクトチームがあるから、一度村井さんも合宿に来てほしい」と話になったんです。そこに行くと、MOSHのもう一人の共同創業者であるかずきくんもいて、当時は教育系のチャットアプリを作っていました。
それからある日、籔くんに「もうすぐ会社にするんですけど、いいですか?村井さん、いけますよね?」って言われたんです。特に驚きとかはなくて、「あ、うん。やるか」という感じで返事をしたと思います。
籔くんって、そういうのが上手いんです。いつの間にか外堀りを埋めていてくれるから、意思決定がすごく簡単にできるというか…僕はもう、そこに乗っかるだけという状態になっていたんですよ。
居心地良く働けること。それが、サービス作りにおいて、一人ひとりのメンバーがパワーを発揮できるコツ。
―その後、籔さんや村山さんと共に、どのようにプロダクト開発を進めていったのですか?
少数ながらも、籔くんを始めとした当時のメンバーが全員一丸となって進めていました。
籔くんが仕様を書いて、僕がそれを元に動くプロトタイプを作って、そこに共同創業者のかずきくんがスタイル当てていく。それが、初期のMOSHのプロダクト開発の動き方でしたね。
―今現在は、どのような体制でプロダクト開発を進めていますか?
今は、2チームに分けてプロダクト開発を進めています。
事業者さんが求める機能は、今目の前の課題を解決するために必要な機能であることが多いです。でも、そういった事業者さんの要望のみ反映していくとなると、例えば5年後、10年後を見据えた仕込みが疎かになりがちです。そこでMOSHでは、今現在事業者さんが困っている課題を解決する開発を進めるチームと、将来を見据えた長いスパンで開発を進めるチームと、二つのチーム体制で開発を行っています。
―徐々にエンジニアメンバーが増えてきましたね。開発体制もいよいよ整ってきたという感じでしょうか?
そうですね。先々月、先月と続けてフルコミットできる優秀なエンジニアが入社してきてくれて、徐々に体制が整いつつあります。開発のパワーも強くなってきているのを感じていて、いよいよこれからだなという感じがしています。
―今後の開発体制にさらなる期待!ですね。今後どのような開発組織、もしくは会社組織にしていきたいですか?
開発組織だけでなく、会社全体のことになりますが、やっぱり一緒にMOSHのメンバーとして働く人たちが、居心地よくあることが一番大事だと思っています。チーム作りにおいて、そこにはしっかりとこだわりを持ちたいですね。一見すると、ハートフルな組織論に思われがちですが、至ってシンプルでとても合理的な考えだと、僕は思っています。MOSHはまだまだ人数の少ない組織ですし、だからこそ、一人ひとりの限られた時間を使って成果を出していくには、質と量をもっともっと高めていかないといけない。そんな状況の中で、人間関係が良くなかったり、会社の中がぎくしゃくしていたりしていたら、本来メンバーが発揮できる力も発揮できないですよね。
だから、メンバーには居心地よく働いてほしい。そして、本来持つパワーを思いっきり発揮してもらえたら嬉しいなと思います。
「自分の意見は会社にとって重要なんだ」メンバー全員がそう思える会社組織を育んでいきたい。
―こんなメンバーと一緒に働きたい、というイメージや希望はありますか?
お互いを尊重して働ける人です。
僕はこれまで社会人になってから、人がやる気を失っていく瞬間を何度か見てきました。その原因のほとんどは、会社や組織の中で同僚や上司から尊重されないことによるものでした。
―そんな状況に陥る組織にならないために、するべきこと、していきたいと思っていることはありますか?
「開発のことがわかるのはエンジニアだけだから、エンジニアチーム内で完結しよう」と、どこの組織でも思いがち。でも、これがプロダクトの品質向上を妨げることになるんじゃないかと、僕は思うんです。
そうならないためにも、オープンな対話を大事にしたい。例えエンジニアでなくても、開発の知識がなかったとしても、自分もこの領域に口出してもいいんだとメンバーには思っていてほしいし、そういう雰囲気を組織内に醸成していきたいです。
―MOSHの組織として目指すところも、『MOSH』というサービスにつながるところがありますね。
そうですね。一人ひとりのメンバーが自分らしく楽しく働いて、「自分の意見は会社にとって重要なんだ」と思える組織でありたいと思っています。そういった空気作りができる人、そういう気遣いができる人がMOSHというチームに必要ですし、僕自身が一緒に仕事がしたいなと思える人です。
ー最後に、エンジニアとしてMOSHでサービス作りをしていくことの面白さについて教えてください。
技術の発展によって、一昔前よりもシステム開発の敷居は下がっていると思います。なので、テックの部分だけではなくて、ユーザーを理解することだったり、チームとして誰かと一緒にもの作りを進めていくことが得意だったり、というようなソフトスキルを持ち合わせたエンジニアも重要になってくると思っています。
そういう意味で、僕らはソフト面を大切にするチームです。ミッションに紐づく形のシステム開発だったり、ユーザーに徹底的に寄り添ったシステム開発だったり、というところがMOSHにおける開発の醍醐味ですね。
「ITが得意ではない人が僕らのサービスを使う時、どうしたら使いやすくなるんだろう、どういう設計にしていけばいいんだろう」というように、常にユーザーの想いに立ち返ってプロダクト開発をし続けていきたいと思っています。