村山和生 - Kazuki Murayama

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こう呼ばれています

かずき/ かずきさん/ 村山さん/ ママ

担当業務

プロダクト開発 / エンジニア

https://meety.net/matches/rIDtCUWLOhgs

入社日

2017年7月28日(設立日)

SNS

誰かが人生の壁に直面した時、『MOSH』がその人の支えとなれるようなサービスになることを目指して。

MOSHの共同創業者であり、プロダクト開発のエンジニア兼EMとして活躍する村山さん。

「何事もやってみないとわからない」

という考えのもと、学生時代から未経験のことでも果敢に挑戦し、多くの壁を乗り越えてきました。そんな考え方が、今の働き方や人生の歩み方に繋がっていると言います。 今回は、そんな村山さんのこれまでの人生におけるターニングポイントについてや、MOSHの今後について、メンバーへの思いなどについてお聞きしました。ぜひ、最後までお楽しみください。

サッカー部退部、進学試験での失敗。その挫折から這い上がり、初めて自分と向き合って勝ち取った大学進学への道。

―まずは、村山さんの子どもの頃や学生時代のお話を教えてください。

大阪生まれ、大阪育ちで、子どもの頃頃はサッカーが大好きな少年でした。サッカー推薦で学校に入れるくらいに練習に打ち込んでいて、将来の夢もちろんサッカー選手でした。 しかし、高校生に入った時に初めて壁にぶち当たったんです。現実を突きつけられたというか…。今思えば、もっと頑張れたはずなのに、と思うのですが、その時の僕はサッカーを続けていく自信がなくて、高校3年生の時に、引退を目前にして部活を辞めてしまいました。

―サッカー以外の面では、どのような学校生活を送っていましたか?

勉強の面で言うと、授業は真面目に受けていて、定期テストも頑張っていたので、評価点はけっこう良かったんです。指定校推薦で大学に行こうと思っていたんですが、見込んでいた学内試験に落ちてしまって…。この時の経験が、僕にとっての人生で最初のターニングポイントとなった気がします。 指定校推薦の試験に落ちても、付属の大学へ進学するという道もありましたが、あれだけ一生懸命打ち込んできたサッカーを途中で辞めてしまって、進学試験もうまくいかないからと、このまま楽な方へ行ってしまっていいんだろうか?そんな風に自問自答をしたことを覚えています。

―高校生の時に、人生で初めての挫折とも思える経験をされた村山さん。その後は、どのように人生を転換していったのですか?

自分自身と初めてしっかりと向き合ったことで、「このまま何もせずに付属の大学に進学するのは、違う気がする」と思ったんです。そこで浪人することを決意して、1から受験勉強を始めて、翌年、同志社大学への進学が決まりました。 サッカーを辞めてしまったこと、指定校推薦の試験に落ちてしまったことは、僕にとってこれまでに経験したことのない大きな挫折でした。でも、そんな中でも「このままじゃいけない。絶対に見返してやるんだ!」という反骨心のような思いが芽生え、なんとか踏ん張ることができたんです。この経験は、自分の中で一つ目の大きなターニングポイントだったなと思いますね。

―大学に入学後、どのような勉強や活動をしていましたか?

商学部に入学して、経済のこと、ビジネスのこと、マーケティングのことなどを学び始めました。あとは、資産運用にも興味があったので独学で勉強をしていましたね。どうして商学部に入ったかというと、浪人をしていた時にぼんやりとではあるものの、ビジネスや起業に興味を持ち始めたからです。 それまでの僕は、単純に「指定校推薦で行けそうだから、ここの大学、学科でいいや」と考えていたんですが、初めて自分の好きなこと、興味のある道へ進むための選択をしたような気がしました。

在学中にサービス立ち上げを経験して知った、事業を自分たちの手で一から作りあげることの面白さ。

大学時代アメリカ留学中の籔に会いに行った時の写真
大学時代アメリカ留学中の籔に会いに行った時の写真

―同志社大学への進学は、挫折を経験したからこその選択だったというわけですね。大学時代に籔さんと出会うわけですが、その時のことを教えてください。

籔さんに出会ったのは、大学2年の冬です。ビジネスへの関心が高い学生に向けた学内イベントがあって、そこで初めて言葉を交わしました。 第一印象は、「この人、訛りすげえな」でした(笑)。籔さんって、良い意味で威厳がなくて、柔和な雰囲気があるんです。それが彼の魅力だと思うんですが、当時は割と尖っていて、ビジネスのことを声高らかに語っていた記憶がありますね。見た目とは裏腹に内に秘めた熱い想いがあって、能ある鷹は爪を隠すというか…彼のそのギャップに魅力を感じました。

―その時の出会いを経て、どのように共同創業の話は進んでいったのですか?

その時は特に何もなかったんですが、しばらくして籔さんと連絡を取る機会があったんです。その時に、「英語の家庭教師のマッチングサービスをやるんだ」という話を籔さんから聞いて、「面白そう!俺もやる」と言ったことから、一緒にサービス作りを始めることになりました。多分、この時のことが僕の人生にとっての二つ目のターニングポイントだったと思います。

―英語の家庭教師のマッチングサービスを始めたということですが、実際に村山さんはどのようなことを担当していたんですか?

事業の構想自体は籔さんが考えて、僕はそれをかたちにするところを一緒に手伝っていきました。Webサイトのデザインをしたり、そのデザインを実際に落とし込むためのコーディングをしたり…。 とはいえ、当時の僕はサービスを作ったこともなかったですし、デザインやコーディングにも触れたことは全然なかった。なので、「どうやらPhotoshopが必要らしい」とか「HTMLやCSSを勉強した方がいいらしい」というように基本的なことから少しずつ調べて行って、それを一つずつ覚えて、勉強して。そうやって何も知らなかった状態から、徐々にデザインやコーディングについて知識やスキルを身につけて行って、サービスを運営していました。 籔さんがアメリカへ留学に行き、僕の就職も重なったこともあって、在学中にこのサービスは閉じることになりました。実は、最後の頃は、籔さんのお父さんがサービス運用をしていました(笑)。

「もっと学びたい」その貪欲な思いから就職。それぞれの成長を経て、再び結集し、MOSH創業へ。

―お父さん、すごいです!就職をされたということですが、どちらへ入社されたのですか?また、その時の経緯など教えてください。

籔さんと一緒にサービス立ち上げを経験したことで、「プログラミングやデザインをもっと学びたい」と思うようになったんです。そんな風に考えていた時、たまたま「学生をエンジニアとして育てていこう」というサイバーエージェントの採用選考の一環であるプロジェクトを知りました。純粋にプログラミングを学びたい気持ちで応募し、プロジェクトに参加させてもらい、ありがたいことに採用オファーをいただいて入社を決めました。

―「プログラミングやデザインをもっと学びたい」という思いからサイバーエージェントに入社したということですね。

はい、そうです。もともとエンジニアになりたい、とか、デザイナーになりたいという思いがあったわけではありません。でも、学生時代のサービス作りの経験が、僕の進むべき道を照らしてくれたんだなと思います。 自分たちで考えてデザインしたり、コーディングしたりして、できあがったものが世の中に出ていく。その面白さを知って「こういう仕事、好きだなあ」と実感できた。だからこそ、もっと勉強したいと思ったし、まだまだ勉強が足りないなと思ったんです。そんな理由からサイバーエージェントに入社して、3年間ほど在籍しました。

―サイバーエージェントでは、どのような経験をしましたか?また、退社後はどのような道へ進んだのでしょうか?

サイバーエージェントは分業がしっかりしている会社で、僕は主にフロントエンドエンジニアとしての業務を担当していました。エンジニアとしてかなり高いレベルで実務経験を積ませてもらいましたが、「学問として改めて学び直したい」と思うようになったんです。 仕事に対してモチベーションをあまり見出せない時期が続いていたり、妻が体調を崩してプライベートでも大変な時期だったりしたこともあり、もう一度自分と向き合う時間を作ろうと、慶応の大学院へ進学しました。

―大学院へ進学という新たな挑戦をされた村山さん。その後、MOSHの創業に向けてどのように動いて行ったのですか?

サイバーエージェントに入社し、大学院に入学した後も、籔さんとはちょこちょこ会っていました。彼が留学から帰ってきてRettyに就職した時も、お互いに近況報告をしていて。そんな中で、具体的な話には至らずとも「お互い違うフィールドで成長して、いつかまた自分たちでサービスをやりたいね」とよく話していました。CTOの村井さんと出会ったのも、この頃です。 その後、家庭の事情で大学院を休学していた時期に、籔さんから「一緒に事業をやろう」と声をかけてもらいました。当時の僕はプライベートでもいろいろあって、メンタル的に疲れ切っていた時期ではありましたが、起業という新たな目標が、僕の支えになっていた気がします。なので、起業に対する迷いは一切なくて、籔さんのオファーに対して「一緒にやろう」と即答しました。その流れはごく自然で、大学時代に戻ったような気がしました。

役割は関係ない。自分自身が今、一番会社に貢献できることをしていきたい。

―いよいよ、MOSHの1年目がスタートというわけですね。創業当初、村山さんはどのような役割で、どのような業務を担当していましたか?

初めは8畳あるかないかのマンションの一室からのスタートでした。
初めは8畳あるかないかのマンションの一室からのスタートでした。

最初はフロントエンド業務を担当しながら、デザイン業務も担当していました。それから、当初は創業メンバー3人が担当制で回していたカスタマーサポートをチーム組織として立ち上げました。

その後はセールスやマーケティング領域を担当したり、バックオフィス領域を担当したり…。専門内とか専門外とか関係なく、いろいろな業務を担当してきました。

―もともとの専門領域を超えて、さまざまな業務を担当していることには驚きです!このようなご自身の働き方について、どう感じていますか?

前の会社ではエンジニアとして仕事をしていましたが、自分自身が会社に貢献できているなという実感があれば、エンジニアとしての役割でなくてもいいと、僕は思っています。エンジニアの領域を超えてデザインを始めた時も楽しかったし、カスタマーサポートとしてクリエイターさんと接点を持ちながらサービスを改善していくことを始めた時も、楽しかった。

どんなかたちであろうと、会社に貢献していくことが第一なので、それができていれば、役割なんて関係ないと思うんです。

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―やったことのないことにも果敢に挑戦していく、バイタリティー溢れる村山さん。そのモチベーションはどこから来るのでしょうか?

「何事も経験してみないと分からない」という考えが、根底にあるからだと思います。高校時代には、サッカーを辞めて、指定校推薦の試験に落ちて、そこから自分なりに這い上がってきました。大学時代には、籔さんと出会って右も左もわからない中で、試行錯誤の上で自分たちでサービスを作りあげました。

そういった体験やできごとから、経験してみることの大切さを実感してきた量は、人一倍あるかもしれません。これまでの僕の人生が、今の仕事のスタイルに繋がっているのかなと思います。

―今現在、村山さんはどのような役割で、どのような業務を担当しているのでしょうか?

創業メンバーの3人でいうと、籔さんと村井さんは経営面を、僕は業務実行の部分を担っています。その境目がしっかりと別れているわけではなく、それぞれの役割もグラデーションのような感じですが、MOSHで働いていただける優秀な仲間が増えるにしたがって、その度合いが増してきているように感じます。

その中でも僕は、今はプロダクト開発のエンジニア兼EMのような役割を担っています。メンバーが徐々に増えてきたことで、ようやく本職のエンジニアに戻ってきた感じですね(笑)。

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―エンジニアとして本職に力を入れられるようになった村山さん。今後、個人としてどのようなビジョンをお持ちですか?

僕自身としては、まずはエンジニアとしてのスキルをもう一度しっかり身につけていく。そして、プロダクト開発に関わってくれているメンバーと一緒に、スムーズに開発を進め、プロダクトを改善していく部分に注力していきたいと思っています。

MOSHには目に見える部分の機能面、使い勝手の良さや、目に見えない部分のコード、実装面にも、まだまだ課題が多いと感じています。それを少しでもより良い方向へ改善し、クリエイターさんに愛着を持って使ってもらえるプロダクトを目指していきたいと思います。

それぞれの価値観を持ち合わせ、対話を大切にできる人と一緒に働いていきたい。

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―ここからは、MOSHの今後について聞かせてください。MOSHを組織として、どんな風に成長させたいと考えていますか?

誰かが人生の壁に直面した時に、その人が別の道で輝けるためのきっかけとなるようなサービスを目指したいと思っています。そう思うのは、以前一緒に働いていた同僚が、職場との相性やいろいろなことが原因で会社を辞めざるを得なくなってしまったことがあって。「この先、どうやって生きていこう?」というところまで追い込まれてしまったんです。 当時の僕は、どうやってその人を支えてあげればいいかわからなかったですが、その時にもしMOSHのようなサービスがあれば、と思うんです。そうすれば、その彼が会社という居場所がなくなったとしても、ポジティブな方向へ歩いていけるきっかけを与えられたんじゃないかと。 あの時はそれが叶えられなかったですが、MOSHを通じて多くの人に生きがいを感じてもらいたい。「自分の好きなことを仕事にしています」という人が溢れるような社会を作っていきたい。その最初のきっかけをMOSHで作って行けたらと思っています。

―そんなMOSHに今、必要な人はどんな人だと思いますか?また、どんな人と一緒に働きたいですか?

健全な職場環境として一番大事なのは、「常に納得感がある状態の中で仕事を進めることができる」ということだと、僕は思っています。そして、それは、他者尊重と積極的な対話から生まれるものだと思っています。 なので、クリエイターさんや一緒に働くメンバーに対して、一人の個人として尊重することができる人だといいですね。「みんなちがってみんないい」という言葉があるように、それぞれの価値観をしっかりと持ち合わせながら、対話を大切にできる人と仕事ができたら嬉しいです。

―MOSHで一緒に働くメンバーには、どんな風な働き方、あるいは生き方をしてほしいですか?

僕自身、「自分の思うように働いて、生きる」という人生を送ってきました。何が正解かなんてわからないですし、正解はその人によって違うものだと思います。それは会社の意思決定においても、プライベートでの日々の選択においても。 その中で、少しでも共感できる「もの」「こと」「人」が集まっている環境であれば、失敗や悩みがあったとしても、自分にとってきっと糧になると思いますし、他人からのアドバイスやフィードバックも素直に受け入れることができるはずです。 この記事を読んでくれたり、興味を持ってくれたりする方にとって、その環境をMOSHが少しでも担うことができれば良いなと思っています。