高い熱量を持つMOSHを最強のチームに。1人ひとりが「心から好き」と思える組織づくりをしていきたい。
―高校時代、地元である横浜を離れ、バスケをしに福井の高校に入学したそうですね。まずは、その時のお話を教えてください。
中学3年生の時、42年連続でバスケの全国大会に出場している福井の強豪校の先生に声をかけてもらい、高校はその学校で過ごすことになりました。日本のトップで頑張れるチャンスが目の前にあったので、自分の力を試したいという一心だったんです。
入学すると、周りには僕と同じような思いで、全国から親元を離れて来ている生徒がたくさんいました。みんな、日本一を目指してわざわざバスケをしに来ている仲間ばかり。年間の休みは、お盆の二日間と正月の三日間だけ。毎日毎日、学校と寮の往復をひたすら繰り返す生活をしていました。そんな生活をして、僕の中の人生観はがらっと変わったと思います。
―高校生の時に、熾烈な競争社会に足を踏み入れた外川さんですが、その時の経験で今につながっていることは何ですか?
「ユニークな”個”の集団が本当の意味で団結できた時、チームとして爆発的なパフォーマンスを発揮できる」という組織論的なことを最初に経験したのは、この時です。
一見当たり前のようですが、これを目の当たりにしたことはとても大きな経験だったと思います。
会社は、個で何かを達成するものではなく、チームで何かを成し遂げるもの。チーム一人ひとりの認識が統一されていることや、土台がしっかりとしていることがすごく大切だと感じていて、それは高校時代の経験からそう思うようになりました。
僕が通っていた高校はいわゆる伝統校で、毎年全国から引っ張られてきた選手がたくさん入学し、チームを結成します。そういった環境なので、個人個人の熱量は非常に高いのですが、ちょっとした意識の違いやズレなどがあったりすると、しっかりとパワーを発揮できない年もあって。
逆に、何かのきっかけでチーム全体の意識が統率された時、チームとして発揮されるパワーはこれまでの比ではないくらいすごいものになる。そんな風に、組織やチームというものが生まれ変わる瞬間を目にしてきました。そんな経験から、チームで何かを成し遂げるというところに興味を持ち始めたんだと思います。
―その後、大学でもバスケを続けていたんですか?
法政大学に入学してバスケを続けていましたが、途中でやめてしまいました。これにはいろいろと理由はあるんですけど、大学に入ったことで視野が広がって、プレーヤーとしてではなく、トレーナーとしてスポーツに携わりたいと思ったことが大きな理由です。
でも、今振り返ってみれば、それは一種の逃げだったのかもしれません。トレーナーとしてスポーツや身体の勉強を始めて、パーソナルトレーナーの資格も取得して、一見充実しているようには見えると思うんですが、どこかで僕は物足りなさを感じていました。
―「物足りなさを感じていた」とは…?
多分、そこに情熱というものがなかったんだと思うんです。逃げの選択をしてしまったせいで、心底自分のやりたいことをやっていなかった状態で、自分自身の中に気持ち悪さが残っていたんじゃないかと。それを押さえ込もうと必死でトレーナーとしての勉強に打ち込んだのですが結局、自分自身をだまし切れなかった。
僕は、これまでの人生の中で常に情熱の在りどころを探してきたし、何かに情熱を傾けることでやりがいや充実感を得てきました。そんな僕からバスケがなくなってしまったことで、「どこに情熱を傾ければいいんだろう?」って、なってしまったんですよね。
優秀な人材が集まる集団の中で感じた、自分の「平凡さ」。それが僕の「やり続けること」という武器を作ってくれた。
―大学卒業後、MOSHに参画するまでの経緯を教えてください。
新卒で三菱UFJモルガン・スタンレー証券という証券会社に入社し、営業職をしていました。企業やオーナーの資産を預かって資産運用する、というものです。
なぜ証券会社だったかというと、やっぱり子どもの頃からバスケを通じて、常に勝負をしてきた人生だったから。やっぱり、誰かと勝負することが好きで、そういう競争社会に身を置きながら自己研鑽したい思ったので、証券会社に入社をしたんです。同期が200人いると1位から200位まで成績の順位が発表され、当然報酬にも差がつく。そんな世界で、勝負し続けたかったんです。
―実際、そのような競争社会の中で仕事をして、いかがでしたか?どんな力を鍛えることができたと思いますか?
僕の同期は全部で200人程度いましたが、運良く、成績はけっこう良かったです(笑)。新卒の頃はトップでしたし、だいたい上位5番目くらいには入っていたと思います。
実際、営業スキルが磨かれたかというと、そんな実感はあまりないです。
とはいえ、大事な学びと気付きがありました。
1つは数字へのこだわり。数字にコミットする。何が何でも目標達成する、みたいな思考は醸成されたのかなと思います。
もう1つは、僕の武器は「やり続けられること」だということを改めて自覚したことです。
―「やり続けること」が、外川さんの武器とは…?
高校時代から、なんとなく感じていたんですが、証券会社に入社すると、周りの同期にはすごい人たちがたくさんいて。そんなすごい人たちの中にいると、自分が誰よりも一般人であることや、秀でた能力がないことを感じるんです。
でも、そのおかげで誰よりも努力しなくちゃと思えるし、誰よりも頑張ることができる。他の人が「もういいや」ってなったとしても、その後の一歩を踏み込めたり、小さな努力を続けたりしていくことができる。そういった僕の長所を、再認識できた時間でもありました。
心から「いいな」と思える会社の仲間を集める。その楽しさを知り、営業職から人事職に転身。大企業からスタートアップへ。
―「やり続けること」を武器に、競争社会で戦ってきた外川さん。その後、人事職に就いたきっかけを教えてください。
証券会社の辞令で、入社5年目の時にリクルーターとして新卒採用担当になったことがきっかけです。
全国の学生を自社にリクルートするという仕事を任され、当時は全国の大学、ゼミ、部活を回って、そこで出会った優秀な学生に対して自社のアトラクトをするということをやっていました。家に帰らず、全国のホテルを転々として、学生と話をするために昼夜ともに3回ずつ食べてたりもしました。
―側から見ると本当に大変そうですが、当時、どんな思いで仕事をしていたんですか?
食べる量も飲む量も毎日すごくて、新幹線の中もずっとPCを触っていて。本当にフラフラでした…(笑)。でも、総じて楽しかったですね。特に食事を共にすることは、その人を知るのにとても重要だと思っていましたし、そこはこだわりを持ってやっていたので。
それに、僕は自分の会社が心から好きで、この仕事が大好きで、そんな風に自分が「いいな」と思っている会社の仲間を集めることが楽しくて、楽しくて、たまらなかった。「チーム作りの最前線を担っているんだ!」という感覚があって、熱中して仕事をしていました。
―その後、人事職として転職をしたそうですね。その時の経緯や、転職先での仕事内容を教えてください。
証券会社を辞める気は全くなかったんですが、株式会社LOBという会社の代表に誘ってもらい、転職しました。
その会社は広告配信システムを開発しているアドテクカンパニーで、今は楽天と統合して看板を下ろしています。僕は7番目社員として入社して、50人強までの組織拡大を経験しました。
スタートアップ入社で変わった、人生観。いかに働くかが、人生を豊かにしてくれると気付かされた。
―大企業からスタートアップへの転職。大きく環境が変わったと思いますが、驚いたことや新しい発見などはありましたか?
1 番に感じたのは、スタートアップで働く人たちは仕事を楽しんでいることでした。
証券会社にいる時も、同期はみんな仕事に誇りを持って働いていましたが、仕事は仕事、プライベートはプライベート、という考えの人が多かったような気がします。それに対してLOBでは、仕事とプライベートを明確に分けている人はあまりいなかったように思います。
仕事とプライベートは別次元にあるのでなく、大きく「人生の豊かさ」を構成する要素であり、境がないイメージです。そういった働くことへの考え方、価値観の違いは新たな発見でした。
証券会社にいた時は、その会社でどれだけ出世できるかが僕の成功の基準となっていました。今は、”出世”とかはどうでもよくて、自社のサービスを自社のチームをどれだけ良くしていくかということに目線が向いています。そこに対して影響力を高めていくために、自分はもっと成長しなきゃって思っています。
この思考の転換が生まれたのはスタートアップへの転職がきっかけなので、大きな転機となったことは間違いないです。
―その後、MOSHへと参画するわけですね。まずは出会いについて教えてください。
前職であるLOBの代表がMOSHの株主で、その代表から紹介されて籔さんに出会いました。実は、僕と籔さんは、高校時代の同級生なんです。
でも、紹介してもらうまではお互い面識は全くなくて、初めてあった時にお互いのことを知りました。福井の同級生に会うって、けっこうすごい奇跡だなって思いました(笑)。
―それはすごいです!運命を感じてしまいますね。最初、籔さんとはどんな話をしたか覚えていますか?
実はその時、あまりMOSHのことは話さなかったと思います(笑)。同級生ならではの、当時の思い出話とかですかね。あとは仕事に対する価値観とか、コアな話も少ししました。
一番よく覚えているのは、籔さんに「仕事でで、一番モチベーションが上がるのはどんな時ですか?」と聞かれたことです。あまりに唐突なのでびっくりしました(笑)。
僕もそんな籔さんに対して「どうして起業したんですか?」「なぜ、地元の福井を飛び出したんですか?」というようなことを聞いていて、特別な時間だったなって思います。
創業メンバーの軸のブレなさ、組織作りや人に対する想いの強さに共感し、MOSHへ入社。
ーその後、MOSHに業務委託で関わることになり、入社のオファーを受けたと聞いています。外川さんが最終的にMOSHへ入社を決めた理由は、何でしたか?
1つ目の理由は、MOSHには揺るぎない軸があると感じたからです。
情熱が連鎖する社会を必ず作るという想い、それに紐づく原体験の色濃さ、そして、それを創業メンバー3人がしっかりと共有できていること。それらを強く感じる場面が多々あったので、MOSHの会社としての軸の強さを感じたんです。
この会社なら、目標にたどり着く道こそは模索しながらも、ゴールはぶらさずに進んでいけると思いました。
2つ目の理由は、組織作りへの想いやこだわりに共感できたからです。
MOSHは、創業メンバーの1人が辞めてしまったという過去を持つ会社。多分、創業者の3人は、その時と同じ思いはもう絶対にしたくないと思っているんじゃないかな。だからこそ彼らは、とても誠実に人と向き合っています。
決して勢いで人の良し悪しや相性を判断したりせず、対話を重ねてじっくり組織を作っていく。本人たちは意識しているわけではないかもしれませんが、僕はそこに中に入ってみなくては分からない魅力を感じました。
あと詳細は割愛はしますが、個人のキャリア上、大事な経験が積めると確信したからです。オファーをいただいてから検討している最中、籔さんと対話を重ねましたが、僕自身のキャリアについてが一番話しました。
―2021年7月にMOSHに入社した外川さん。今現在、どのような業務を担当しているのかを教えてください。
“チームづくり”に関することはなんでもしています。
採用・制度・労務(バックオフィス)などが主な領域です。アーリーフェーズのスタートアップなので、”採用”にかける時間が多くなりますが、それだけでなく、カルチャーづくりや、制度設計、労務を中心としたバックオフィス業務も担当します。あとは合宿などの社内イベントの企画・運営なども。
「後悔しない決断を」というモットーを胸に、リファラル採用が連鎖する組織作りをしていきたい。
―そんな外川さんが働く上で、人生を生きていく中で、大切にしている考え方や想いを教えてください。
常にチャレンジングな選択をすることです。
これは、後悔を残さないということを大切にしているという考えからきています。
「チャレンジングな選択」というのは、人生における大きな転機となるような時の話だけではないと思っていて。日常の中で「これは苦手なんだよな…」とか、」「避けたいな...」と思うようなことって、たくさんあると思うんです。そういうちょっとした時にでも、「苦手だけど、逃げずにやろう!」と思うようにしています。
―「後悔しない決断をするために、迷ったらチャレンジングな選択をする」という考えを持つようになったのは、なぜですか?
自分のこれまでの人生を振り返った時に、納得できる選択と今でも悔いが残る選択が、「逃げずにチャレンジしたか」というポイントで分岐しているからですね。
特に自分の場合、周囲の目を気にして、自分をごまかし、悔いを残すようなことが何度かありました。
やっぱり誰が何と言おうと、自分が「やりたい」と思ったら最後までやり抜きたい。その積み重ねが僕自身の「人生の豊かさ」につながると思っています。そういった土台があって、先ほど話した「やり続けること」という、自分の中で武器と自覚できるようなものが形成されたような気がします。
―今後MOSHの人事として、MOSHをどんな組織にしていきたいかを教えてください。
目指す状態で言うと、社員が、自分の大切な友人や知人に対して「MOSHで一緒に働こう!」と自信を持って言える。そんな組織にしていきたいです。
これって簡単なように見えて、すごく難しいですよね。心から自分の会社のことを「いい会社だ」と思っていないと、なかなか友人や知人を呼ぶことってできないので。
そういう意味では、外部に対してのPRはもちろん大事なのですが、最優先は内部に目を向けること。常に社員が”MOSH”に対して情熱を情熱を注げる環境となっているかという視点で組織づくりしていきたいです。
その環境を生むために尽力することが僕の役割だと思っていますが、やるべきことは山ほどあります。
MOSHらしい、つまりは「情熱がめぐる経済をつくる」ための組織カルチャーを育てること、社員個人の成長を支援すること、最後に優秀な人材の採用を継続的が続いていくこと、がその軸となると今は考えていて、そのためにできることには躊躇なくチャレンジしていきます!