こう呼ばれています
職種 / 役職
Data Analyst
− 副業時代が長く新しいメンバーという感じはあまりないのですが、MOSHの新メンバーとして11月から正式に参画してくれた俊平さん。
MOSHでは細かい部分にまで気を配ったり、必要なデータを必要な時にサッと出してくれて頼れる存在ですが、子どもの頃から割としっかりした性格だったんですか?
詳しいことは覚えてないですが、小さい頃はかなりやんちゃなタイプだったはずです。高いところから物おじせずにピョンピョン飛び降りる子供だったらしく、大変だったらしいというのを親から聞きますね。
幼少期以降は自分の子供の頃を思い出すと、環境が変わるにつれて、自分の性格が、振り返って自分でも少し驚くほどまるっきり変わっていたと思います。
大人になってから平野啓一郎さんの「分人主義」という考え方に出会ったのですが、それがとても当てはまるなと思っています。
− 「分人主義」という考え方はどういう考え方なんですか?
詳しいことはこちらの公式ページにまとまっていますが、
要約すると、通常人は一つの人格と考えられているが、時と場合、場所、または接する人など周りの環境に合わせていくつもの人格を持ち得る、というような考え方ですね。
− なるほど。例えばその一つ一つの人格があまりに違ったとしても、そういうものだと。何か具体的なエピソードなどあったりしますか?
そうですね、僕は小学生2年生からサッカーをやっているのですが、そのサッカーチームがフットサルで全国ベスト16になったことがあるくらい、超強豪チームだったんです。
なので、そのチームの中には個性や性格の強い子がとても多くて、その影響もあってかその頃の自分自身はとても受け身で臆病な性格だったように思います。
監督がめちゃくちゃ怖い人でまだ体罰も普通の時代で、周りの人がサッカーが上手かったので、その環境についていこうと必死で、そのころのサッカーは全然楽しくなかったですね(笑)
− 萎縮してしまいますよね。
中学生になって、小学生時代のチームメイトはほとんどクラブチームに入り、僕は学校の部活に入ったので彼らとは別の道に進みました。
クラブチームに進む道もありましたが、嫌だったので部活を選びました。
中学生からは、自分が一番上手いくらいの実力になったこともあり、性格が誰かについて行くフォロワータイプからリーダータイプに変化したように思います。サッカー部の中だけの変化ではなく、学校の中でも性格が変わっていって、生徒会をやったこともありました。
また、中学に入ってから、毎月のお小遣いがテストの点数で決まるようになって。
− おお、それは頑張りがいがありますね!
小学生時代は全く自分で勉強したことがなかったですが、中学からテスト勉強だけ頑張るようになり、その辺りから「どうやら自分は他の人よりも勉強ができるらしい」と思うようになりました。
ちょっと勉強すれば90点くらい簡単に取れると思っていたのですが、部活の仲間に聞くと「俺はそんなに取れない。お前は天才だ」みたいなことを言われ、そこから捻くれた自己肯定感が形成されてしまったように思います(笑)
− なるほど。そこからもさらに変化するんですか?
自分の中で基盤となるような性格が形成されたのは、高校時代に入ってからだと思います。
高校の部活に入る時に、ゴールキーパー経験者が誰もいなかったので、立候補してキーパーになったのですが、これが茨の道でした(笑)
ゴールキーパーは、砂の上をヘッドスライディングのように横跳びするので、毎日どこかを怪我するんです。中学の頃は練習が好きになりましたが、高校に入ってからまた嫌いになりました。
そしてレギュラー争いも大変で、僕の代からもう一人立候補したので彼とも、また下の代から上手いキーパーが入ってきたので彼とも勝負してました。
最終的にレギュラーになりましたが、そこに至るまで大変でしたね。
後から振り返ってみると、僕は「フィールドプレイヤー」というコンフォートゾーンをあえて捨てて、「ゴールキーパー」という新しい領域に挑戦していたのだと思います。
それ以降、自分の人生で「コンフォートゾーンを捨てる」というのはキーワードになりました。
− そこから色々なコンフォートゾーンを捨て続けてきたんですか?
そうですね、簡潔にまとめると大学を入り直したり、新卒から務めた会社を辞めて小説家に挑戦したり、最近は日本を飛び出して海外に拠点を探したりしていて、それらの行動の中には全て「コンフォートゾーンを抜ける」という共通の軸がある気がしています。
コンフォートゾーンを抜けた先で結果を出すのは、並大抵の努力ではできませんし、しかも大抵の場合、周りの人間(主に家族)にも迷惑をかけてしまいますが、そうして得られる経験は、その結果が成功であれ失敗であれ、自分という人間を大きく成長させてくれるものだと思っています。
− なるほど、ありがとうございます。これまでの人生で一番夢中になっていたことは何でしたか?
やっぱり小説を書いていた時でしょうか。
新卒入社したRettyを退社して小説家を目指して小説を一日中書いていた時期があるのですが、それは自分の人生の中でもかなり特殊な時期で、一番何かに夢中になれていた期間だったと思います。
ただ、夢中になりすぎて睡眠を削ってまで没頭していたら、体調を崩してしまって。
入院して、闘病して、今は完全復活したのですが、その困難を乗り越えたことも含めてひとつの自分の人生の中での貴重な経験だったなと思っています。
− それは壮絶なストーリーですね。完全に復活されたということでよかったですが、それが貴重な経験と思えているのはなぜでしょうか?
そうですね、そこでかなり自分が変わったからです。
それまでの自分は一生懸命やれば自分にできないことなんてないと信じて疑わなかったのですが、どれだけやっても届かない世界があると気づけたことで、他人へのリスペクトとか、それまでよりも謙虚な自分になることができたかなと思います。
− なるほど、ありがとうございます。新卒で入社したRetty、小説家を経て海外に拠点を移され、MOSHに入社されているわけですが、きっかけは何だったんでしょうか?
ひとまず小説家としての挑戦がひと段落して、また会社で働こうかなと思い次の道を模索していたところ、CTO村井さんがFacebookに「SQL書ける人、手伝ってくれませんか?」と投稿しているのを見て、連絡したのがきっかけです。
元々、MOSHファウンダーの籔さん、CTOの村井さんとは過去にRettyで一緒に働いていたこともあり、入社の話はスムーズに進んで一昨年の11月にまずは業務委託としてジョインしました。
それから一年間、業務を続けて、昨年の11月にフレキシブル社員としてジョインしました。
− 現在MOSHでは何をご担当されているんでしょうか?
データにまつわる全般の仕事をしています。
依頼をベースにデータ出しやデータ分析をすることがメインですが、それにあたってのデータ分析基盤の構築や、クエリを自分で叩ける人を増やすデータの民主化も進めています。
− MOSHに入社する前と後でギャップはありましたか?
いい意味で全くないです。入社する前に、一年間業務委託として働いていたので、会社の雰囲気は掴めていましたので。MOSHのメンバーは「人柄がいい」というのが特徴の会社だと思っています。皆さん素直で柔軟性があり、学習意欲が高くてユニークな経験をされています。一緒に働いていて楽しいです。
− これからMOSHでやりたいこと、叶えたいことなどがあれば教えてください。
データの文脈で言うと、データアナリストがまだ一人しかいないので、自分が会社に対してどれだけ価値を作っていけるかという部分と、もう少し大きい視点で会社全体として、データをどのようにプロダクトに活かしていけるかというのはチャレンジだなと思っています。
また、僕がMOSHで働く一番大きなモチベーションは「資本主義の次の世界を作りたい」という気持ちが強いんです。株式会社が主導の資本主義は限界にきていると思うので、個人が主役となる”クリエイターエコノミー”で新しい世界をどれだけ作っていけるか?という点に挑戦していきたいですね。
− 俊平さん、本日はありがとうございました!!