飯澤 大樹 - Daiki Iizawa

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こう呼ばれています

だいきさん、いいざわさん

職種 / 役職

事業開発

入社日

2022年10月1日

ー 飯澤さん本日は宜しくお願いいたします!

よろしくお願いします!

ー 今日は飯澤さんのこれまでの人生を深くお伺いしていこうと思うんですが、飯澤さんは幼少期どんなお子さんだったんですか?

小さい頃はかけっこが速くてリレーの選手になったり、勉強もそこそこできて、目立つのが好きなタイプした。ありがたいことにサッカー、水泳、書道、ピアノ、学習塾と多くの習い事をさせてもらえて。当時やらされている感はあったものの色々なことを経験する機会をもらえたなと思います。

ー なるほど優秀なお子さんだったんですね。

自分で言うのもなんですが、多分そうだったと思います(笑)

ただ小学校高学年、中学と年次があがっていくにつれて周りの成長に置いていかれていきました。僕は周りより体の成長がちょっと遅かったようで、かけっこも常に一番だったところから、下位に落ちていきましたし、背が伸びるのも遅くて背の順では先頭から2番目みたいな感じでしたね。

ー 飯澤さん今は結構身長ありますよね?

今では183cmありますね。

ー 大きいですね。

中学生の時の身長は160cmくらいで、周りは170cmとかそれより大きい子もたくさんいて。 そんな中自分は足も遅く、声も高くて合唱祭ではソプラノパートみたいな。中学卒業するまでそんな感じだったんですよ。

ただ高校で一気に身長が伸びて、卒業する時には180cm近くありました。身長がぐんぐん伸びて体が成長するなか、筋トレや走り込みを繰り返して体を鍛えるのが面白かったです。

このあたりが自己形成されたポイントの一つだと思ってるんですけど、筋トレを毎日続けたことで体も大きくなり足も速くなっていきました。短距離走も長距離走もいつも最後尾でしたが先頭集団までかけあがり、サッカーでもレギュラーになれて。トレーニングが結果に結びつくという成功体験は自分の中で大きな経験になったと思ってます。

ー なるほど、短い期間でそれだけ努力して、その分大きく結果にも結びついたんですね。

そうですね。日々身体が変化していました。

どうしたらより効果的に体が変化していくかということを考えて、プロテインやサプリを飲んだり、食事のバランスも考えたり、色々試行錯誤していました。

ー その頃からPDCAを回していたんですね。

ベースとなるものはそこでの経験が大きいかなとも思います。

あとは新卒入社した会社でマーケティング部門にいた時の経験も自己形成につながってると思います。

ー 広告運用をご担当されていたんでしたっけ?

新卒入社した会社は、当時インターネット広告の運用を広告会社に任せていたんですが、僕が部門配属になったタイミングで運用をインハウス化していくプロジェクトが始まったんです。

膨大な予算を投じて広告会社にお任せしている運用をインハウス化するために、アカウント設計を紐解いていき、ABテストの回し方やレポーティングの方法を考え、自社で巻き取っていくスケジュールを計画して、運用に乗せていく工程をプロジェクトの中でひたすら考えて動いていました。

ー かなり大がかりなプロジェクトですね。

社会人経験もまだまだ浅かったので色々なことを教わりつつも、自分なりにどうやったらいいんだろうかと考えながら、社会人1〜3年目は夢中で仕事していた記憶があって。この広告運用のインハウス化のプロジェクトが原体験というかとても強く記憶に残っています。

業務の8割ぐらいエクセルだったんですよ。

ー エクセルですか?それは想像を絶する…

エクセルをいじり倒していたので、夢にもエクセルが出てきました(笑)

インターネット広告は文字として見えているタイトルやリンク先URLの情報以外にも、どれぐらいの金額で入札して広告配信をするかとか、裏側の設定がたくさんあるんですね。今では昔より簡単に調整できるようになりましたけど、昔はその調整をするためにCSVデータ数万行をいじっていました。

ー それは本当に気の遠くなるような作業ですね。。

なのでファイル名等の命名規則もそうですし、運用する中でレポーティングのことも考えたりしながら手を動かしていましたね。

広告会社の運用からインハウス化したことで、運用手数料が削減され効果が改善して、より洗練された運用でスピーディーにPDCAを回せるようになった結果、自慢みたいになりますけど全社MVPに選んでいただきました。

ー 素晴らしい!泥臭く努力したことが結果にきちんと結びついたんですね。

MVPの副賞というかご褒美で、アメリカの支社に海外研修で行かせてもらったり、MVPをいただいたのは一つ節目だったと思います。

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ー マーケティング自体は入社前から希望されていたんですか?

そうです。個人事業主の父の影響でマーケティングに興味を持っていました。

就職活動をするときに、父の仕事内容や個人事業主になった理由などを聞く機会がありました。父からはインターネットを使って、人を集められる能力がこれから必要になるから、そういうことを学んでいったらいいよと言われていたので、マーケティングに関わっていける環境を前提として就職活動はしていました。

ー 飯澤さんは1社目のときに、営業、マーケティング、エンジニアと3職種経験されてると思うんですけど、これは業務の繋がりの中で役割を変えてこられたって感じだったんですか。

そんな感じですね。エンジニアは僕がやりたいって言って手をあげてやらせてもらったんです。

ー 何かきっかけがあったんですか?

インターネット広告という領域で、GoogleやYahooなどのプラットフォームは突然「はい、新しいルールはこれだよ!」と突然言ってくるんですよ。それに従わざるを得ないのにもどかしくなりました。

誰かに作られたものや、振り回されるののが嫌になって、自分自身でなにかサービスを作りたいな、という意思が徐々に大きくなっていきました。インターネット広告はある程度経験したと感じた時、次はそういうチャレンジをしたいという思いでエンジニアへの異動希望を出しました。

ー そのままエンジニアとしてキャリアを続けていこうとはならなかったんですか?

浅はかでしたね、その考えが。

エンジニアとして外部の勉強会に参加したり、自分自身でも手を動かしていく中で同世代ですごい人がたくさんいることを目の当たりにして、とんでもない世界だなと色々衝撃を受けました。

ー なるほど。知ったからこそ見えた世界があったんですね。

ですね。そんな世界に直面しながら自分が興味を持つ領域を改めて考え直しました。人が何を考えてどういう行動するのか、難しい表現ですがもっともっとビジネス寄りというか、人に寄り添った考え方が好きだなという思いにたどり着きました。

ー これまで築き上げてきたものもありますしね。

短い期間でしたがエンジニア経験によって、浅い知識かもしれないですけど、エンジニアリングとかデザインとかを全く知らない人でなくなったのはポジティブな場面が多いです。澁谷さんと働いたリブセンス時代でWebディレクターをしていた時も、どんな開発しているかある程度把握できたり、局所的な部分なら自分でHTMLとCSSを書いてリリースしたりもしていました。

ー 業務の幅が広がった状態で新しいチャレンジをされたんですね。

2社目のリブセンスには1年と短い期間ではありましたが、中身が濃く詰まった1年間でした。

ー 何か思い出に残ってるエピソードとかありますか?

現在MOSHにいらっしゃる澁谷さんとはリブセンスの採用面接が出会いだったのですが、当時面接ではサービスを作りたいと澁谷さんにお伝えした記憶があって。結果的に入社が決まり配属された不動産事業部では、不動産テックの新たなメディアサイトの立ち上げをやらせてもらいました。

サービス名をどうするか、ドメインを取る過程やサーバーとの契約、どのカテゴリを選定してSEOの設計をするのか等、何もないところからサービスを作り上げる経験をさせてもらいました。入社してすぐに任せていただいたのでかなり大変だったんですけど、今となっては貴重な経験だったと思っています。

ー なるほど、チャレンジングな環境だったんですね。そこから次UUUMに行かれたんでしたっけ?

UUUMではインフルエンサーマーケティングの提案をする法人営業していました。 企業が商品・サービスのプロモーションをするにあたり、目的に応じてどんな企画で進めるのか?どのインフルエンサーを起用するのか?の提案をした上で、インフルエンサー側の可否確認も進め、企画の全体進行もしていくような業務でした。

ー どうしてUUUMにいこうと思ったんですか?

学生時代からYouTubeが好きで、プライベートでも長い時間見ていました。リブセンスで働いてるときがYouTuberの人気が高まってきたタイミングでして、そんな中2017年のYouTube Fanfestに広告主として招待をしていただきました。

YouTuberたちがステージに登場したとき東京ビッグサイトの大きな会場が、黄色い声援で溢れて地響きしていたんですね。ジャニーズとかアイドルを見ているかのように若者が興奮して盛り上がっている中、一方で自分が座っている関係者席の大人たちはほぼ反応してなかったんですよ。

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ー YouTuberがまだそこまで幅広い世代に認知始める前か、ちょうどされ始めかけているくらいの頃ですもんね。

はい。その異様な光景に衝撃を受けました。熱量の高さにも驚きましたし、人が動かされてる瞬間を目の当たりにして。その渦中ではどういう景色が見れるのだろうか気になり、知りたい欲求が強くなっていって、転職活動というよりかはYouTuberに関わる仕事がしたくてUUUMに行こうと決意しました。

ー 飯澤さんが関わってこられた面々、お名前は伏せますが、拝見すると本当にYouTubeの歴史を作ってこられた方々の黄金期に立ち会ってこられた感じですよね。

5年間働いていたので、いろいろなお取り組みに携わらせていただきました。

ー 中盤はまさにコロナが直撃して皆がオンラインに移行してっていう中での5年間ですよね?

もう本当にそうでしたね。どのように伝えればよいかわからないぐらい大変でした。

ー そうだったんですか?視聴者側からするとみんながオンラインに移行していって、小学校の授業までもがYouTubeとかで行われたり、ワークアウト系の動画がバズったりとかしてたので、盛り上がっていたのかなって感じていたんですが。

僕の役割的に大変だったという表現が正しいですね。法人営業としてクライアントに確保いただいた予算でプロモーション施策を動かしていたので、業績不振な企業も出てきてしまうなかで予算が削減されキャンセルする施策もあったり。

YouTube全体の動画の再生回数は、おうち時間が増えて多くの方がYouTubeを見るようになりましたし、数多くのクリエイターがYouTubeを始めるタイミングでもあって盛り上がりもありましたが、マーケティングやプロモーションっていう観点では難しい時期でしたね。

ー そこからMOSHへの転職となるわけですが、どういうきっかけでMOSHへ来てくれることになったのですか?

MOSHに入社する約1年前の秋あたりですかね。いきなり澁谷さんからご連絡をいただいて。 最初はオンラインでお互いの近況報告とかをしている中で「一緒に働かない?」とお誘いいただきました。

ー すごいストレートに(笑)

その時ちょうどUUUMの中で色々なことをやらせてもらっていたタイミングだったので動くつもりはありませんでした。その後も定期的に連絡させていただいてましたが、ある時オフラインで食事に行こうとなり数年ぶりに澁谷さんと対面でお会いしました。その時も色々なお話をして、次は籔さんとも話してみようとなりました。

ー 澁谷さんが 1年ぐらい追いかけた格好ですかね。

ありがたいことに声をかけ続けていただきました。年齢的に自分は30歳を超えてきて、踏み込んだ挑戦するならこのタイミングかなとも考えさせられる時期でした。ここでスタートアップでチャレンジして事業を作り上げていく過程を経験できるなら何よりですし、もし駄目だったとしてもそれは貴重な経験になるだろう、というのをお話を聞きながらイメージできたのが決め手でもあります。

あとは籔さんと話したときに、父のような個人事業主の方々が利用しているMOSHというサービスがどんなものなのか、MOSHを通してどんな世界を実現していくのか等のお話を聞いて、サービスそのものに胸打たれたのも大きかったです。色々な要素が重なってしっくりきたという感じですね。

ー なるほど、点と点が繋がっていくような形だったんですね。

入社前後で想像していた業務や社内のカルチャーなどにギャップなどありましたか?

どんな方々が働いているのかは、入社前にPodcastを一通り聞いていましたし、温かみというか人間らしさというか、いい人たちだなというのは感じていました。籔さんとお話させていただいた時は福井訛りも相まって「緩やかな空気が流れる人だな」という印象で、ペース含めすごく話しやすかったですね。なので入社する前に心配もなかったんですけれど、入社して長い時間は経ってない前提ながら、思った通り以上に素敵な方々が働いているなと感じてます。

ー MOSHぐらいの規模感の会社は始めてですか?

この規模感ははじめましてですね。

ー 同世代の起業家のスタートアップで働くことには抵抗はなかったですか?

年齢は全く気にしていないです。若くても優秀でエネルギーのあるすごい方々は沢山いますし。籔さんは世界を旅をしてきてMOSHにたどり着く原体験をされていますが、その経験をされてきたことや持たれてる価値観は個々人の生き方だと思うので。

ー なるほど。基本会社って、年上の社長がいて、年上の上司がいて、みたいなところが多いので、同年代の仲間が集まってやっているところもまた今までと違うのかなと思うのですが、いかがでしょうか。

自分より年齢が下の方が少ない環境はこれまであまりなかったですね。近めの年齢の方が多いですが、MOSHは落ち着いている方が多いなとも思います。相手のことを思いやって言葉を掛け合ったり、お互いをリスペクトしてやっている環境はすごく温かさを感じますね。

ー 確かに。スタートアップって割と体育会系でオラオラ行くぞ!みたいな印象を持ちがちかなと思うんですが、真逆ですよね。

きっとMOSHというサービス自体がクリエイターの方々と向き合っていかないとそもそも成り立たないプロダクトだと思うので、そういうところが中の人にも表れてるのかなと思います。

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ー ありがとうございます。飯澤さんはこれまでクリエイター界隈で仕事をされてこられて、すごい詳しいと思うのですが、飯澤さんから見てMOSHの伸びしろってどんなところで感じましたか?

澁谷さんにお話聞くまではMOSHというサービスそのものやオンラインでサービス販売できる領域について、自分で触れたり学んでこなかった領域でした。

お話を聞いていく中で、大人になっても習い事や学びを求める人が多いということに改めて気づいたり、オンライン上で人と人との繋がりを作って、学びを提供できる環境を作るサービスがすごく素敵だなと思いました。このような流れはこれからもっと当たり前になっていくんじゃないかなと思います。

ここ数年でオンライン上のやりとりが一般化していって、不明瞭なものに対して人々がその対価を払うようになってきていると思ってます。これまでは自分の目で見て触って良いと思ったものにお金を払うという価値観を多くの人が持っていたところを、実体験を伴わずに特定の人が紹介しているから購入したり足を運んだり体験するためにお金を払う、そんな流れがどんどん当たり前になっていくんだろうなと感じているので、MOSHにも伸びしろを感じたというところですかね。

ー なるほど。不明瞭なものに対して対価を払うっていう考え方面白いですね。

結局、筋トレやフィットネスってその時間が過ぎてしまったら、捉え方次第では何も残らないじゃないですか。それを続けていったり、インプットの無形の知識が残ることによって、日々の生活の満足度や、意識の向上に繋がって、その積み重ねがきっと感性を豊かにしたり、幸せに繋がっていくのかなって思ってます。

ー ありがとうございます!最後に飯澤さんがMOSHでチャレンジしたいことなどはありますか?

これから新しくMOSHを使ってくれるクリエイターさんを増やしたり、既存のクリエイターさんの活躍をさらに広げていくところに力をかけていきたいなと思っています。

現状MOSHではヨガ・フィットネス、コーチング等、うまくいっているジャンルが徐々に見えてきています。そこの軸足を増やす観点で、全く異なる業種の方たちとも色々試行錯誤してきながら「MOSHってこんな風にも使えるんだ!」みたいな新しい発見をしていったり、クリエイターさんの成功体験を増やしていけたらなと思ってまいす。

ー 今まさにMOSHはこれから、今浸透してきているカテゴリーと遜色ないカテゴリーが明確に出てきていて、それを突破していくようなフェーズだと思うので、飯澤さんみたいな人がゴリっといろんなジャンルに広げていっていただけると、MOSHの成長も加速しそうだと感じています。

ありがとうございます!頑張ります!

ー 飯澤さん本日はありがとうございました!